早くも心が揺れそうになる

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mohamed_hassan / Pixabay

つい1週間前くらいに

予備知識皆無のままプロブロガーになる。

と決心した私ですが

プロブロガーになるには会社さくっと辞めて

1日8時間の勤務時間と同じくらい否それ以上の

時間を費やせみたいな諸先輩方の意見を

目にする中で蚤の心臓の持ち主である私は

えっ?えっ?👀👀👀👀ってひったすら

びびってますwwwww

辞められるなら今すぐ辞めたいっ。

毎日自分なりにブログと向き合う時間を

抽出しているけど、絶対数が足りてないなんて事は分かっている。

あーあーあーあーあーあーあーあー

まだ誰にも読まれていないレベルなのに

こんな事を心配してる場合じゃなく

書いて書いて書きまくるか、

今すぐ会社を辞めてフリーになるのか、

どちらが数年後の私から見ての正解なのか。

自分一人だったら辞めてしまえってなるのかも

だけど、私には自分と同じくらい大好きな大好きな母親がいる。

いつか海外で働きたいっていう無謀な夢を

20代をとっくに卒業した結婚もしない

アラサーの私をいってらっしゃいと

送り出してくれた高齢の母。

実年齢よりはかなり若く見られているし、

実際元気だし、身体を切り貼りするような大きな病気はしたことない。

しかしいくら若く見られようと70代であること

に変わりはないのだ。

そんな母は私を女手一つで育ててくれた。

父親の顔や名前も覚えてない。

今回タイに来るとき戸籍謄本が必要だったので

そこで父親の名前を見て、あーこんな名前だったかもくらいの印象。

ある日突然家のお金を全部持っていなくなった父親。

母には何度も何度もタイミングを見計らっては

父親がどうしていなくなったのか、

どうやって出会ったのか、同じような境遇の人がテレビに出ていた時はチャンスと思い

毎回のように聞いたが

母が答えてくれることはなかった

私が社会人になってからようやく少しずつ

話してくれるようになった

幼少期から裕福ではないものの、

人並みの生活をさせてもらった

それは母が人の何十倍も働いたから

保育園のお迎えはいつも夜で、

周りには誰もいなくなり園長先生の部屋など

いつも遊んでいるところとは別の場所で

母親を待っていた記憶がある

恐らく先生方は子供たちが帰った後の

デスクワーク的な事をされていたのかと。

小学校の運動会来てくれた年はあまりなかった

けど、家族ぐるみで仲の良かった同級生の家族と一緒に昼食を食べていたので寂しいと

感じた事はほとんどない

近所に親戚のおばあちゃんとおじいちゃんが

いて毎日のようにご飯を食べに行っていたし

下町だったので街全体がみんな顔見知りで、

まだ家にお風呂がなかった家が結構あり

毎日銭湯で会うおばちゃん達も名前は知らないけど会えば挨拶するみたいな人がそこかしこにいたので、母が仕事で帰りが遅くなる日は

近所の誰かの家で夕飯までご馳走になる日が少なくなかった。うちにも近所の友達が夕飯食べて週末は泊まり合ったりもしていた。

みんな同世代だけど学年がバラバラだったけど

すごく楽しかった。

母子家庭だからと言って周りに引け目を

感じることはなかった

周りに母子家庭の友達が沢山いたし父親が

いないからと何か言われた記憶というのが

ないので、周りの友人にはとても恵まれた

環境だった

母は父と知り合う前は洋裁をしており、

いろんなメーカーの洋服を作っていたと

聞いた事がある

そんな時年下の父と出会い結婚をし、

焼き肉屋を営むようになった

誰から見てもいい人だったようですが、

裏を返せば気の小さいNOとは言えない人

だったようで、世間が眉を細めるような人とも

付き合いがあったようで、母はどうしても

その人達との縁を切って欲しいと

懇願したようだか、父の意思の弱さが原因で

母の願いが叶う事はなかった

父は家にあったお金や母が私のために

貯めてくれていたお金を全口座から持ち去り

いなくなりました

多方面からお金を借りて私を育ててくれた母

感謝の念は尽きません

地元の中学が当時荒れに荒れていて

中学から大学まで私立に行かせてもらい

大学は奨学金制度を利用。

金銭面で大変なのか分かっていたものの

高校大学でははっちゃけてしまった。

なので社会人に入ってからは返済の日々が

続いたが何とか完済できた

会社と家の往復でこのままでいいのだろうかと

何度も何度も考えた

ただすぐに退職しなったのは借金があったからのただ一点

更に長期休暇も取りやすい居心地のいい会社だったので随分と長居してしまった感は否めない

毎回長期休暇でタイに来ては

いつか私はここに戻ってきて働くんだと

毎回話していた

でも一体それはいつなんだろうと…

年齢も年齢だし…

昔からこの仕事がしたい

この職業に就きたい

というよりかは楽しく稼げるなら何でもよかった

残業がなく定時に帰れてボーナスもそれなりにあって長期の休みが取れて、

オフィスカジュアルと言われる服装を

強要しない服装が自由であれば何でもよかった

本当に何でもよかった

昔の自分に会えるなら殴ってやりたい

もっと自分の将来真剣に考えろと

まだ就職難でもなかったので、危機感ゼロの

浮かれた大学生

バイトに明け暮れ、休みになれば海外に行くと言う学生生活

タイの事を好きになったのも大学でタイ語を

学び始めて夏休みにタイに行ったのがキッカケ

そんなタイでいつか働いてみたいと漠然と

思う日々

就職前にタイに住めた事で絶対にタイで

また暮らす

そして今度は働きに来るんだという目標ができた

社会人になってからも幾度となくタイに来るものの毎回それは旅行だった

30代になって今のままでいいのか考える日々が増えてきた

貯金もそんなに多くない

周りがどれくらい貯めてるのか

分からないけど1千万の世界にまだまだ

到達していない

老後の資金は個人年金で貯めているものの

何か不安

いくらあったら不安じゃなくなるのか…

多分いくらあっても不安はなくならない

それならまだ母親が元気なうちに

自分がやりたかった事をやろうと

36歳で日本での仕事を辞めて

タイに来ちゃいました

母親に何かあればすぐに帰ればいい

大好きな母親を利用に私は○○出来なかった

などの言い訳はしたくない

タイに来てタイ人と働くのは楽しい

いろんな事を教えてくれるし、

いざって時は私達家族だったっけ?ってくらい

親身になり助けてくれる

でも普段は底抜けに明るいタイ人

私が好きな場所は間違いここタイだと思う

ただ時間的拘束から自由になりたい

せっかく好きな場所にいるのに

また前と同じ会社と家の往復になってると

気づいた瞬間

違う

もっと何かがあるはずと漠然と思った

タイに来る前後あたりからTwitterを再開して

よく見るようになっていた

そんな時web知識なくてもwebデザイナーに

なった人やプロのブロガーになった人達を

よく目にするようになり

気になって毎日Twitter漁るようになっていた

そしたら私もやってみたい

私もプロのブロガーになりたぁーい

思ったらすぐ行動

ブログってどうやって始めるの?

あたりから調べてとりあえずど素人には

はてなブログがいいらしい

よし、じゃあ登録

とりあえず書いてみよー

えっ?楽しいじゃん

でも誰も見てない

最初の数ヶ月はそんなもんだよね

とこの辺まではよかった

薄々感じてはいたけど

会社辞めてブログに集中してる人と

働きながらじゃ圧倒的に辞めてる人の方が

成果出すのは早いはず

辞めたい

でも辞めれない

とりあえず毎日1時間はブログに時間を

抽出しようと1週間程経過したけど

辞めて潔くフリー目指す方がいいんじゃない

みたいに思う自分もいて

あーあーあーあーあーあーあーあー

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